桜の花を見上げて想う

もう10年以上前のことですが、離れて暮らしていた両親が亡くなったのは、ともに春のことでした。
母が亡くなり、その2年後に父が亡くなりました。
母は長年患った病が原因でしたので、ある程度は予期していたことですが(それでも大きな喪失感がありましたが)、父は突然のことだったので、とても混乱し、それにともなって色々な経験をすることになりました。
以来、私にとって春は様々な感情が交錯し、あまり心穏やかに過ごせる季節ではありません。
まだ私の中で消化できていないことがあるのだろうと思います。
桜の花を見上げて、自分はあと何度春を迎えることができるだろうか?と思う年齢になってきました。
桜の花の美しさ、綺麗さ、儚さを感じると同時に、来年もまた見たいなぁ、と思うようになり、季節の感じ方が変わってきました。
微細に見れば一年毎に違う自然ですが、俯瞰してみれば同じことを淡々と粛々と繰り返す自然の良さを壊したくないものです。
人間の欲望は産業革命以降、変わることを最善としてきましたが、それは最悪への道だったのだと思うようになりました。
今年も桜の花を見ることが出来ました(そして変わらないことの素晴らしさを感じました)。
ただ、そのことに感謝したいと思います。
両親は離れて暮らしていたのに(そして離れて暮らす姉がいるのに)、両親を亡くして私は孤独を感じることが日常になってしまいました。
離れていても親を精神的に頼りにしていたんだなぁ、と思います。
もともと自分は社交性が乏しいと分かっていましたが、今この地に生きている自分の「地に足が付いている」感の希薄さは、若い頃は想像もしていなかったことです。
人間関係的には孤立していませんが、小中高時代の友達とはあった(損得勘定のない)他愛のない繋がりは気楽で良かったなぁとあらためて思いますし、この歳になってそういう繋がりってなかなか築けないもんだな、と感じています。
COVID-19のせいだ!って言いたいところですが、それもそろそろ収束ですので、自分でなんとかしたいなぁ、と思います。
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